スタッフの日記

量子コンピュータ関連書籍を読んで(その1、その2)

2023年8月4日(平石)

1.電卓型とそろばん型
 量子コンピュータに関する文献を読んで、もしかして、情報処理システムには「電卓型」と「そろ ばん型」があるのではなかろうかと思うようになった。
 電卓型は、たとえば下図。

 「ここから上は出力」、「ここから下は入力」で示したように、入力場所と出力場所とが、きっちり と分かれている。

 人間の脳の細胞(ニューロン)も電卓型。入力場所と出力場所は分かれている(下図)。

 「そろばん型」は、適切な画像が無いが、要するに、入力と出力が分かれていない。

上図は、筆者が小学生の時に買ってもらったもの。


 そして、古典コンピュータ(従来のコンピュータ、現在のコンピュータ)は概ね電卓型、量子コン ピュータは必ずそろばん型となるらしい。


 それは、量子コンピュータが、「波の重ね合わせ」を計算するものだからだと思われる。
 例えば、少量の放射性物質と、それが放射性崩壊したときにそれを検知する検知器と、検知器に連動して瓶を叩き割るハンマーとを箱に入れて蓋をする。放射性崩壊は量子現象なので、ふたを開ける前は、瓶が「割れている状態」と「割れていない状態」との、波としての重ね合わせになっている。
蓋を取らなければ、割れているのか割れていないのか決まらない。蓋を取って箱の中の情報を外部に出力すると、割れているか否かが確定してしまう。つまり「割れていない」と「割れている」の両方があったものが、一方だけになってしまう。
 「量子コンピュータは、このような箱をたくさん並べたようなもの」という意味のことが、「でたらめの科学 サイコロから量子コンピューターまで(ISBN:978-4-02-295104-5)」に書かれている。なので、計算の途中で「波の重ね合わせ」でなくなってしまい、瓶が割れているか否かが確定しては、まずいのである。

 「ゼロからわかる量子コンピュータ(ISBN:978-4-06-528299-1)」に、下図がある。

 この図で水平線は同一の〝もの〟である。〝もの〟としては一つであるが、〝状態〟は、複数の状態の重ね合わせである。
 量子コンピュータのプログラミングは、上図のなどの「ゲート」を、どこに配置するかを考えることになる訳である。
 量子コンピュータにおける「ゲート」は、「偏光を当てる」とか「磁場をかける」などの操作である。そろばんにおける、指の動かし方に相当するものだと思う。
 そして、ややこしいことに、「一番上の瓶が割れていない状態と、二番目の瓶が割れている状態の重ね 合わせ」などというのもありうる。上図で縦につながった「ゲート」は、このような、複数の瓶の状態の 重ね合わせに対する操作であろう。
 ということは、古典コンピュータのプログラムが、基本的に1次元であるのに対し、量子コンピュー タのプログラムは、ほとんどの場合、2次元以上となるのではなかろうか。
 ちなみに、は、状態を表現するもので、左側に縦線、右側に閉じ括弧(〉)を書く。

 

余談:
 テレビの時代劇を見ていたら、五珠が2つ、一珠が5つのそろばんが使われていました。
 ネットを検索すると、「もともと13世紀ころ中国で発明された算盤は、重量の単位で1斤=16両、面積の単位で1市頃=16市畝など、16進数が計算できるように、五珠が2つ、一珠が5つだった。」ということのようです。


2.量子を使っているから量子コンピュータと言う訳ではないということ
 今日使われている、いわゆるノイマン型コンピュータは、「電子計算機」とも呼ばれている。「電気 計算機」とか「電動計算機」とか言うと、別のものになってしまう。つまり、電気を使用していることが 本質なのではなく、電子を使用していることが本質なのである。
 そして、電子は、量子の一種である。
 今日のコンピュータには、半導体が使われている。半導体にはn型半導体とp型半導体があって、それらの薄片を何層にも貼り合わせたものを使う。
 そして、電流は、p型半導体からn型半導体へは流れるが、n型半導体からp型半導体へは流れ ない。
しかし、そのn型半導体のところにもう一つp型半導体をくっつけて、そのp型半導体からn型半導体に電流を流すと、流れなかったn型半導体からp型半導体への電流が流れる。
 この不思議な現象は、量子論によらなければ説明できない。そもそも、なぜn型半導体とp型半導体とが存在するのかが、量子論によらなければ説明できない。
 今日のコンピュータは、これらの量子現象を演算処理等に使っている。
 量子を使っているにもかかわらず、今日普通に使われているパソコンやスーパー・コンピュータ は、量子コンピュータではない。
 たとえば、「量子コンピュータの衝撃(ISBN:978-4-299-00338-6)」には、「古典コンピュータは電 子を使っているのに、何故量子コンピュータと呼ばないのか」という疑問が表明され、それなりの回 答を示している。しかし、「粒子の数が多くなると波のように見える」などと的外れなことを言ってい る。
 筆者は、この回答も含めた諸々の考察の末、「電子を個別処理するのが量子コンピュータ、 電子を集団で処理するのが古典コンピュータ」という結論に達した。

 

【参考にした文献】(量子コンピュータ関連書籍+平石の一言.pdf)

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